《イタリアの記憶75》・・・GIAPPONE(日本)パート2
【笑えない話】
タクシーでの会話
運転手「シニョリーナ、ミラノに住んでるの?」
わたし「そうです」
運転手「学生かい?」
わたし「うぅん、働いてるの」
運転手「どこの国の人?」
わたし「日本人よ」
運転手「年はいくつ?」
わたし「あててみて」
運転手「そうだな〜、14歳!当たっただろう!」
わたし「えっ?私働いてるって言ったよねぇ!14歳で働いてる訳ないじゃない」
「23歳です!」
運転手「マンマミア!東洋人の年は、本当に分んないや!」
運転手「イタリアでどんな仕事をしてるの?」
わたし「洋服の仕事」
運転手「モデルさんかい?」
わたし「まさか!洋服の型紙を作る仕事をしているの」
運転手「日本って国は、イタリアより貧しいんだね。日本には仕事がないんだ」
「こんな貧しいイタリアにまで来て・・・可哀相に」
わたし「なに???」
「私は、日本で一緒に働いていたデザイナーから、仕事を手伝ってもらいた
いって頼まれたからイタリアに来たの!」
現代の日本人は”職を得るために海外へ行く”という感覚は殆どないと思います。
(日本には、そういう外国人が多く滞在はしていますが)
でも、イタリア人のタクシー運転手は、私のことを『国境を遥かに超えた出稼ぎ』と、勘違いした訳です。
イタリアは、決して裕福な国ではありませんでした。
周りのヨーロパ諸国に比べ、外国人の就労者もごくわずか。
何故なら、イタリアの国民でさえ仕事を得られない人が沢山いるのに、外国人に仕事を与える事なんて出来ないからです。
その点フランスには外国人が沢山就労していました。それは、戦争が強かったからとも言えます。みなフランスの植民地から職を探しにやってくるのです。
でも、そんな状況のイタリアだからこそ、物価が安く、とても暮らしやすかったのです。
エスプレッソは40円位で飲めたな〜。
100円くらい出すと、リンゴが何個も買えたし・・・。
EU統合後、物価は2倍以上に跳ね上がりました。
そして今、イタリアには沢山の外国人が就労しています。(特にミラノ)
でも、そんな様子は何だかイタリアらしくないように感じてしまうのです。
タクシーでの会話
運転手「シニョリーナ、ミラノに住んでるの?」
わたし「そうです」
運転手「学生かい?」
わたし「うぅん、働いてるの」
運転手「どこの国の人?」
わたし「日本人よ」
運転手「年はいくつ?」
わたし「あててみて」
運転手「そうだな〜、14歳!当たっただろう!」
わたし「えっ?私働いてるって言ったよねぇ!14歳で働いてる訳ないじゃない」
「23歳です!」
運転手「マンマミア!東洋人の年は、本当に分んないや!」
運転手「イタリアでどんな仕事をしてるの?」
わたし「洋服の仕事」
運転手「モデルさんかい?」
わたし「まさか!洋服の型紙を作る仕事をしているの」
運転手「日本って国は、イタリアより貧しいんだね。日本には仕事がないんだ」
「こんな貧しいイタリアにまで来て・・・可哀相に」
わたし「なに???」
「私は、日本で一緒に働いていたデザイナーから、仕事を手伝ってもらいた
いって頼まれたからイタリアに来たの!」
現代の日本人は”職を得るために海外へ行く”という感覚は殆どないと思います。
(日本には、そういう外国人が多く滞在はしていますが)
でも、イタリア人のタクシー運転手は、私のことを『国境を遥かに超えた出稼ぎ』と、勘違いした訳です。
イタリアは、決して裕福な国ではありませんでした。
周りのヨーロパ諸国に比べ、外国人の就労者もごくわずか。
何故なら、イタリアの国民でさえ仕事を得られない人が沢山いるのに、外国人に仕事を与える事なんて出来ないからです。
その点フランスには外国人が沢山就労していました。それは、戦争が強かったからとも言えます。みなフランスの植民地から職を探しにやってくるのです。
でも、そんな状況のイタリアだからこそ、物価が安く、とても暮らしやすかったのです。
エスプレッソは40円位で飲めたな〜。
100円くらい出すと、リンゴが何個も買えたし・・・。
EU統合後、物価は2倍以上に跳ね上がりました。
そして今、イタリアには沢山の外国人が就労しています。(特にミラノ)
でも、そんな様子は何だかイタリアらしくないように感じてしまうのです。
by sole-e-luna | 2008-03-07 00:42 | 物の考え方