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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶82》・・・存在 4   


アトリエに電話し、デザイナーのEと話す。


私 「昨日、家に泥棒が入ったの。」

E  「知ってる。さっき日本の専務から電話があったよ。」

私 「家主の荷物が全て開けられているのに、私は警察を呼ぶ事も出来なかった。」

E  「今、家にいるの?」

私 「お友達のHさんの所。家の中はひどい状況だし、ドア枠が壊されているからド
   アにカギもかからないし、そんな部屋にいられる訳ないじゃない。」

E  「とにかく、詳しい話をしたいから、アトリエに来てくれないか?」

私 「アトリエには行かない。。。
   ・・・どうして1年も経つのにヴィザがおりないの?
   ヴィザの状況が分かるまでは、アトリエには行かない。
   話をしたかったらEが、こちらに来るべきだわ。」

E   「分かった。調べて君の所に結果を知らせに行くよ。」



翌日、私が身を寄せている友人宅へデザイナーが来ました。


私 「何故1年以上もたつのにヴィザが下りないの?
   労働ヴィザがないと言う事は、私はあなたの会社に存在していないという事。
   滞在ヴィザがないと言う事は、私はイタリアに存在していないという事。
   ヴィザがないという事は、私はイタリアで何の保証もされていないって事。
   分かる?家主の荷物が殆ど開けらているのに、警察に届ける事も出来なかった   屈辱が、貴方には分かる?」

E  「プロダクションに確認したよ。
   今、君のヴィザは進行中だけど、正式に下りるのは一ヶ月後くらいになるそ
   うだ」

私 「一ヶ月後ね。。。どうしてこんなに時間がかかってるの?」

E   「分からない。今までも確認していたけど、先方から返ってくる言葉は
   “今やってます”だけだった。」
   「明日から、アトリエに来てくれるかい?」

私 「分かった。。。」

E  「ドアの修理も済んでるから、家にも戻って欲しい。」

私 「あの家には帰りたくない。。。しばらくは、ここから出勤します。」


中の住人が犯人かもしれないと思っている私は、家に帰る事は出来ませんでした。
建物に入るのも恐かったし、まして部屋に入るのはもっと恐かったのです。
それでも、いつまでも友人の家にお世話になる訳にも行かないので、毎日、数時間だけ家にいる練習をしました。
最初は昼間の明るい時に数時間。次は夕方・・・と、少しずつ家にいる時間を長くし、慣れさせていったのです。
それでも最初の夜を迎えた時は、恐くて眠る事が出来ませんでした。
泥棒に入られた直後の光景が頭から離れず、トラウマになってしまったのです。
最初から好きになれない家でした。
これをきっかけに、新しい家探しを始めたのです。


アトリエに行くと、家主の元ご主人から電話が入りました。
元ご主人は、ドイツ版VOGUE(服飾雑誌)の編集でした。
私の事をたいへん心配してくれており、「家主の荷物の事は全く気にしなくていいよ。それよりも、君は大丈夫かい?」と言ってくれました。
私が自分の部屋に戻った時、荒れ放題だった部屋の中は元通りになっていました。
私に不快な思いをさせないよう、元ご主人が立ち会いの下、片付けてくれたんだと分かりました。


結局、ヴィザが取得出来たのは、それから数ヶ月もたった後の事でした。
何が原因でそんなに時間がかかったのかは不明です。
イタリアという国はそういう国なんだと言ってしまえばおしまいですが、当時は外国人の就労が難しいのも事実でした。
職を得られないイタリア人が大勢いるなか、敢えて外国人を雇用すると言う事は、会社側のリスクも大きいのです。
まずは、税金が高くなります。
また会社は、その外国人に対して、ハイレベルのお給料を支払わなければいけません。
どういう事かと言うと、『ハイレベルのお給料を払ってでも価値のある人材だから、敢えて外国人を雇いたい』、という事なのです。
イタリアのお給料は、階級制でした。
給料明細書に書いてあった私の階級は、中よりも遥かに上でした。
ハイレベルとは言っても日本でもらっていたお給料と大差はありませんでしたが、イタリアの若者よりは、格段に上でした。(2倍以上)
それだけイタリア人の所得が低かったという事ではありますが。


ヴィザが取得出来るまでのお給料は現金で手渡しでしたが、ヴィザが下りてからは銀行振込になりました。
また、きちんとした明細もついており、年金まで引かれていました。
帰国の際、「私が60歳になったら、年金を日本に送ってくれるの?」って会計士さんに聞いたら、「トライしてみるよ。。。」って一応は言ってました。
・・・、多分、届かないでしょうね。



滞在は旅行とは違います。
見たくない部分も沢山見えてきます。
国民性の違いから、不愉快な気分になる事もしょっちゅうでした。
最初の1年は、腹を立ててばかりいたように思います。
『全くイタリア人は・・・』と、毎日毎日何度も何度もつぶやいていました。

それでも、1年が過ぎ、2年が過ぎ・・・、だんだんとイタリア人を批判する事はなくなっていき、それと同時に、良い面が沢山見えてくるようになったのです。
それは、現代の日本人が忘れているような人間らしい部分かもしれません。
だから、嫌な事が沢山あっても、私はイタリアが嫌いにはなれないのです。
そして今も、時々帰りたくなるのです。


おしまい



暗〜いお話に長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は気分を変えて、くるみのお話にしま〜す。

by sole-e-luna | 2008-06-14 02:12 | 事件

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