無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 カテゴリ:事件( 10 )   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶82》・・・存在 4   


アトリエに電話し、デザイナーのEと話す。


私 「昨日、家に泥棒が入ったの。」

E  「知ってる。さっき日本の専務から電話があったよ。」

私 「家主の荷物が全て開けられているのに、私は警察を呼ぶ事も出来なかった。」

E  「今、家にいるの?」

私 「お友達のHさんの所。家の中はひどい状況だし、ドア枠が壊されているからド
   アにカギもかからないし、そんな部屋にいられる訳ないじゃない。」

E  「とにかく、詳しい話をしたいから、アトリエに来てくれないか?」

私 「アトリエには行かない。。。
   ・・・どうして1年も経つのにヴィザがおりないの?
   ヴィザの状況が分かるまでは、アトリエには行かない。
   話をしたかったらEが、こちらに来るべきだわ。」

E   「分かった。調べて君の所に結果を知らせに行くよ。」



翌日、私が身を寄せている友人宅へデザイナーが来ました。


私 「何故1年以上もたつのにヴィザが下りないの?
   労働ヴィザがないと言う事は、私はあなたの会社に存在していないという事。
   滞在ヴィザがないと言う事は、私はイタリアに存在していないという事。
   ヴィザがないという事は、私はイタリアで何の保証もされていないって事。
   分かる?家主の荷物が殆ど開けらているのに、警察に届ける事も出来なかった   屈辱が、貴方には分かる?」

E  「プロダクションに確認したよ。
   今、君のヴィザは進行中だけど、正式に下りるのは一ヶ月後くらいになるそ
   うだ」

私 「一ヶ月後ね。。。どうしてこんなに時間がかかってるの?」

E   「分からない。今までも確認していたけど、先方から返ってくる言葉は
   “今やってます”だけだった。」
   「明日から、アトリエに来てくれるかい?」

私 「分かった。。。」

E  「ドアの修理も済んでるから、家にも戻って欲しい。」

私 「あの家には帰りたくない。。。しばらくは、ここから出勤します。」


中の住人が犯人かもしれないと思っている私は、家に帰る事は出来ませんでした。
建物に入るのも恐かったし、まして部屋に入るのはもっと恐かったのです。
それでも、いつまでも友人の家にお世話になる訳にも行かないので、毎日、数時間だけ家にいる練習をしました。
最初は昼間の明るい時に数時間。次は夕方・・・と、少しずつ家にいる時間を長くし、慣れさせていったのです。
それでも最初の夜を迎えた時は、恐くて眠る事が出来ませんでした。
泥棒に入られた直後の光景が頭から離れず、トラウマになってしまったのです。
最初から好きになれない家でした。
これをきっかけに、新しい家探しを始めたのです。


アトリエに行くと、家主の元ご主人から電話が入りました。
元ご主人は、ドイツ版VOGUE(服飾雑誌)の編集でした。
私の事をたいへん心配してくれており、「家主の荷物の事は全く気にしなくていいよ。それよりも、君は大丈夫かい?」と言ってくれました。
私が自分の部屋に戻った時、荒れ放題だった部屋の中は元通りになっていました。
私に不快な思いをさせないよう、元ご主人が立ち会いの下、片付けてくれたんだと分かりました。


結局、ヴィザが取得出来たのは、それから数ヶ月もたった後の事でした。
何が原因でそんなに時間がかかったのかは不明です。
イタリアという国はそういう国なんだと言ってしまえばおしまいですが、当時は外国人の就労が難しいのも事実でした。
職を得られないイタリア人が大勢いるなか、敢えて外国人を雇用すると言う事は、会社側のリスクも大きいのです。
まずは、税金が高くなります。
また会社は、その外国人に対して、ハイレベルのお給料を支払わなければいけません。
どういう事かと言うと、『ハイレベルのお給料を払ってでも価値のある人材だから、敢えて外国人を雇いたい』、という事なのです。
イタリアのお給料は、階級制でした。
給料明細書に書いてあった私の階級は、中よりも遥かに上でした。
ハイレベルとは言っても日本でもらっていたお給料と大差はありませんでしたが、イタリアの若者よりは、格段に上でした。(2倍以上)
それだけイタリア人の所得が低かったという事ではありますが。


ヴィザが取得出来るまでのお給料は現金で手渡しでしたが、ヴィザが下りてからは銀行振込になりました。
また、きちんとした明細もついており、年金まで引かれていました。
帰国の際、「私が60歳になったら、年金を日本に送ってくれるの?」って会計士さんに聞いたら、「トライしてみるよ。。。」って一応は言ってました。
・・・、多分、届かないでしょうね。



滞在は旅行とは違います。
見たくない部分も沢山見えてきます。
国民性の違いから、不愉快な気分になる事もしょっちゅうでした。
最初の1年は、腹を立ててばかりいたように思います。
『全くイタリア人は・・・』と、毎日毎日何度も何度もつぶやいていました。

それでも、1年が過ぎ、2年が過ぎ・・・、だんだんとイタリア人を批判する事はなくなっていき、それと同時に、良い面が沢山見えてくるようになったのです。
それは、現代の日本人が忘れているような人間らしい部分かもしれません。
だから、嫌な事が沢山あっても、私はイタリアが嫌いにはなれないのです。
そして今も、時々帰りたくなるのです。


おしまい



暗〜いお話に長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は気分を変えて、くるみのお話にしま〜す。
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by sole-e-luna | 2008-06-14 02:12 | 事件 | Comments(11)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶81》・・・存在 3   


12月21日(日曜日) 深夜


友人Hさん(女性)の家に着くと、別の友人Yさん(男性)も心配をして駆けつけてくれていました。


Yさんは、イタリアで2番目に出会った日本人です。
彼はイタリアで、フリーのパタンナーをしていました。
最初の頃、私の仕事を手伝ってもらったのが知り合うきっかけでした。
彼はイタリア滞在歴5年を越すベテランさんで、私があまりにも若いのと、単身でイタリアに滞在しているのを心配して、色々と気にかけてくれていました。
Yさんは私より10歳以上年上でしたので、私に同世代の友人がいた方が良いのでは?との心使いから紹介してくれたのが、Hさんです。イタリアで3番目に出会った日本人です。
彼女は日本の靴ブランドでチーフデザイナーをしていた方でしたが、一から本場の靴造りを勉強したいと志し、私より一年早く、やはり単身でイタリアに滞在していました。年齢も私とは1歳しか違いませんでした。


Hさんの家に着いた私を、二人とも自分の事のように心配をしてくれました。
これから、どういう行動をとる事がベストか・・・。


私は二人から『泥棒』というイタリア語を教えてもらい、こんな時は、泥棒を単数形で言うべきか複数系で言うべきか、真面目に3人で話し合ったり・・・。


単数形の場合、泥棒が女性か男性かによって名詞の語尾が変わります。
入った泥棒が男性か女性かなんて分かる筈もなく、複数形で説明した方がいいんじゃないかと言う事で話が落ち着きました。
悲しいかな、言葉とはこうして覚えるのかもしれません。泥棒に入られなければ、泥棒というイタリア語は覚えなかったかもしれません。
(ちなみに男性の泥棒はラードロ、女性はラードラ 複数系はラードリになります)


この時私には、とても心配な事がありました。


私はイタリア滞在中も日本の会社に在籍をしたままでした。
出張という形をとって、イタリアの別会社で働いていたのですが、日本の会社の社員という事に変わりはありません。
日本の会社(某デザイナーズブランド)は、アパレルに携わる人なら誰でも知っているような世界的に有名な会社(デザイナー)でした。
もし、今回の件で私が強制送還になってしまったら、日本の会社に多大なる迷惑をかける事になるんじゃないか・・・。会社に泥を塗ることになるんじゃないか・・・。
労働ヴィザが取得出来ていない事は、私に責任はありませんが、私自身、日本の会社にその事を言えずにいたのです。
また、強制送還になってしまったら、帰国後数年は国外へ出られなくなり、仮に日本の会社へ戻れたとしても定期的なパリ出張には行けません。

この時、強制送還されたケースをYさんから聞いたのですが、警察に保護された後、帰国の為の飛行機に乗せられるそうです。そして後日、飛行機代の請求書が届くのだそうです。


友人たちと話し合っているうちに、この状況を相談できるのは、パリのアトリエにいる日本人スタッフしかいない、と思いました。この時の私には、日本の会社に電話をする勇気などなかったのです。


「明日、パリのアトリエに電話をし、日本人の部長に相談してみよう」


既に夜も遅い時間で、友人の作ってくれた暖かい食事をごちそうになって、その日は寝る努力をしたのでした。




12月22日(月曜日)
パリのアトリエに電話。


私 「お久しぶりです」

部長「おぉ〜、10月のパリコレ以来だね。元気にやってる?」

私 「実は昨日、家に泥棒が入りまして」

部長「えっ?盗まれた物は?」

私 「私の物が盗まれた形跡はなかったのですが、家主の物が盗まれているかどうか
   が分からないんです。昨日、デザイナーはボローニャに行っていて連絡が付か
   なくて、ドアが壊されているので、昨日から友人の家に泊めてもらっているん
   です」

部長「警察には届けたの?」

私 「それが・・・。実はまだヴィザが取れてなくて、警察には届けられなかったん
   です。。。」

部長「えっ?何だって?まだヴィザが取れてないなんてあり得ないだろう!
   日本の会社では、とっくに取れていると思ってるよ。
   何て事だよ。全くE(イタリア人のデザイナー)は、いい加減な事をやってる。
   君のイタリア行きが確定した時、日本からヴィザの申請をすると申し出た社長
   に対して、Eはヴィザの申請はイタリアでした方がスムーズだって言って断っ
   たんだよ。もう一年が経つじゃないか。」

私 「もし、今回の件が警察に分かって私が強制送還にでもなってしまったら、日本
   の会社に対して迷惑が掛かるような事はないでしょうか?」

部長「君はそんな事は心配しなくて大丈夫だよ。」

私 「でも、おおごとになってしまったら・・・」

部長「もし仮にそうなったとしても、日本の会社は君を切れば済む事だから、会社に
   迷惑がかかる事は絶対にないよ」

私 「だったら、いいのですが。。。」

部長「日本よりもパリの方がイタリアには近いけど、もし君に何かあったとしても、
   パリのスタッフがすぐにミラノまで駆けつける事は出来ないんだよ。
   君も一人で心細いとは思うけど、それでも一人でどうにかしなくちゃいけない
   んだよ。自分を守るのは自分自身だからね!
   とにかく、今回の件で、自分が出来る事はしてあげるけど、ミラノで頑張るの
   は君なんだからね。
   今日Eは、ミラノに帰って来てるんでしょう?
   すぐにEと連絡をとって、対処方法を相談する事が最優先だよ」


そう言って、パリの部長との電話が終わったのです。


数日後、パリに電話をしたところ、部長は私との電話を切った後、間髪入れずに日本の会社の専務に報告をしたそうです。
それを聞いた専務は速攻でイタリアのデザイナーに激怒の電話を入れたそうです。
だから、私がイタリアのデザイナーに連絡をとった時には、彼は既に私の状況を知っていました。


つづく
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by sole-e-luna | 2008-06-13 01:24 | 事件 | Comments(13)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶80》・・・存在 2   


「被害の状況を確認しなくちゃ」
すぐに逃げられる体制をとりながら、恐る恐る部屋の中に入りました。


リビングにおいてある荷持の殆どは、家主の私物なので、私には何が盗まれているのか全く検討がつきません。約1年間住んでいた部屋でしたが、私は一度たりとも家主の荷物を開けた事も覗いた事もなかったのです。
その日、ソファーに投げ出したままだったクリスマスプレゼントは、開けられる事も無くそのままソファーに置いてありました。


ロフトに上がり、ベッドルームを見てみると、午前中の買い物で必要になるかもと思い用意をしておいた日本円(10万円位)は、誰かに触れられた形跡もなく、そのままの状態で置いてありました。
友人から聞いた話ですが、外国人(日本人以外)が日本円を銀行に持っていっても、換金はできないだろうとの事でした。「何故こんなに日本円を持っているんだ?」と、反って怪しまれるからだそうです。
会社からのお給料は、現地通貨のリラで支給されていましたが、それは銀行の口座に入れてあり、普段は小切手で買い物をしていたので、部屋にはリラを置いてはいませんでした。


幸い、私個人の私物が盗まれた形跡は見当たりませんでした。
でも、この後どうしたらいいんだろう。。。
デザイナーはボローニャ。連絡はとれない。
ニューヨークにいる家主の連絡先も私は知らない。


いずれにしても警察に来てもらわないといけない。
家主の物が盗まれているかもしれないし、部屋を借りている以上、家主の為にも警察に来てもらわないと。
今日は日曜日で、門番さんの部屋の窓には灯りが付いていなかったけど、まずは門番さんに相談してみよう。


階下に下りようとエレベーター前に行くと、先ほど開けっ放しだったドアの前で、男性二人が立ち話をしていました。


私 「どうしたんですか?」

男性「いやぁ〜泥棒に入られちゃってさぁ」

私 「えっ?うちもなんですよ。ドア枠が壊されていて、どうしたらいいのか。
   私、12時まで家にいたんです。その後に入られたようなんです。」

男性「僕は、午後の3時から30分だけ家を留守にしていたんだ。その間にやられた
   んだ。部屋の中には犬がいたのに、番犬にはならなかったよ。どうやら犬好き
   の泥棒だったようだ」

私 「と言う事は、30分の間に2件の家に入ったっていうこと?」

男性「あ〜、どうしたらいいんだ・・・。僕は明日からインドに出張なんだよ」

私 「私も、こんな状態の部屋には居られないし、どうしたらいいか分からないの
   で、門番さんのところへ相談に行こうと思ったんです」

男性「門番は、いつものバールでお酒を飲んでいたけど、呼びにいったから、もうす
   ぐ来る筈だよ」


男性と話していると、門番さんが私たちのフロアーにやってきました。


私 「どうしたらいいんでしょう。家主のクローゼットや引き出しが全て開けられて
   いて、何が無くなっているか分からないし、彼女から私が借りている以上、警
   察に来てもらわないと。」

門番「警察?それはまずいんじゃない?だって、シニョリーナ、ヴィザがまだ下りて
   ないんでしょう?不法就労と不法滞在がばれちゃうよ」

私 「あぁ〜。なんて事・・・。」

門番「とにかく今晩は、友達のところにでも泊めてもらって、明日デザイナーとどう
   したらいいか相談したら?」


日本からイタリアに発つ際は、旅行ヴィザのみでした。
最初の3ヶ月は、旅行ヴィザで特に問題が起きる事はありません。
現地に着いた後、イタリアの会社からヴィザをリクエストしてもらう約束になっていました。

滞在半年後、デザイナーにヴィザの件を確認したところ、「リクエストしているけど中々下りないんだ」との回答。
そのまま、1年が過ぎようとしていた矢先の事件でした。


ヨーロッパのマンションの入り口は、殆どがオートロックで、外から自由に入る事は出来ません。まして日曜は、門番さんがいないので、入り口のドアは閉めっぱなしです。
入り口のドアを開けるには、住人がカギを使って開けるか、住人をインターフォンで呼び出し、中からドアロックの解除ボタンを押してもらわない限り、建物の中に入る手だてはないのです。
中からの解除ボタンも一度の開閉のみで、またすぐにロックがかかってしまいます。


だんだんと嫌な予感が募ってきました。
「もしや、この泥棒は、中の住人?」
「私の部屋は、家主がカメラマンで、現在ニューヨーク在住。
 その部屋を借りているのは小娘のような日本人。 
 普通なら家族で住む広さの部屋に一人で暮らしていて、いつも深夜まで帰ってこ
 ない。」
「もう一件の被害にあった家の持ち主は、明日からインドに出張」
「おかしい。絶対おかしい。内情が分かっている人がやったとしか思えないじゃ
 ない!」


「もし、内部の仕業だとしたら・・・?
 このまま壊れたドアの中で、過ごす事なんて出来る筈ない。」
「ただの泥棒でなく、悪意があったら・・・?」
「私はここで殺される訳にはいかない。日本の家族の為にも。」


私は自分の部屋に戻り、震えながら日本人の友人の家に電話しました。
事情を話すと友人は「そんなところにいちゃダメ。すぐに私の家に来て!」
私は、数日分の着替えを無造作にバックへ詰め込み、荒れ放題の部屋をそのままにし、タクシーを呼んで友人の家に向かったのです。


つづく
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by sole-e-luna | 2008-06-10 01:25 | 事件 | Comments(10)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶79》・・・存在 1   


1986年12月21日(日曜日)
イタリアに住み始めて、一年と二日が経つ。
クリスマスまで、あと数日・・・。



日曜日のヨーロッパは、大体どこのお店もクローズしています。
一部、観光客目当てのところは開いていますが、キリスト教徒にとって、”日曜日は働かない日”なのです。


その日は日曜日でしたが、クリスマス間近の為、殆どのお店がオープンしていました。
クリスマスプレゼントを用意する為のラストスパートです!
私もその日は、クリスマスプレゼントの買い物にギフトショップへ出かけることにしました。


どのお店の中も、多くのイタリア人で賑わっています。
私は、友人一人一人の顔を思い浮かべながら、
「何を贈ったら喜んでくれるかな〜?びっくりしてくれるかな〜?」
パッケージを開けた時の友人の表情を想像しながら、ひとりニヤニヤとギフトコーナーを回り、無事数点のクリスマスプレゼントをゲットしたのです。


大急ぎで買い物を済ませ、マンションに戻ったのが、ちょうど正午。
ソファーの上にプレゼントを投げ出し、大急ぎで仕事に向いました。


キリスト教徒でない私は、仕事が急がしければ日曜日も働きます。
1月末までに、全てのパターンを引き終えないと、ミラノコレクションに間に合わないからです。
これから訪れるクリスマス休暇とお正月休暇が控えている為、一日たりとも無駄に出来ない状態でした。


その日、私は一人で出勤。
デザイナーは、叔母さんが入院しているボローニャに行っていました。


夜9時、仕事を終え帰宅。


当時の私の住まいは、ミラノの中心地に位置する高級マンションの最上階。
高級マンションではありましたが、最上階だけは決して高級ではありませんでしたが、約70平米のロフト付きで、ドゥオモまで徒歩10分の好立地でした。


そのマンションは、デザイナーの友人の持ち家です。
友人(女性)は、カメラマンをしており、仕事の為ニューヨークに長期滞在をしていた為、彼女がミラノを留守にしている間、部屋を借りていたのです。
とは言っても、彼女の荷物はそのままで、私の為に唯一空けてくれたのは、クローゼット一つだけでした。


エレベーターで最上階に付くと、いつもと様子が違います。
エレベーターの正面の部屋は玄関が開けっ放しで、中が丸見え状態。
私は見て見ぬふりをし、早歩きで突き当たりにある自分の部屋へ足を運びました。


重い大きな部屋の鍵をバックから取り出しながら、ドアの前に立つと・・・。
「あれ?ドアが開いてる・・・。」
ドアが5cm程開いており、中から灯りがもれているのです。


「あれ?私、鍵を閉め忘れたの?でも、お昼に家を出たから、電気は点けていなかった筈なのに、何で電気が点いているの?」
「もしかして、誰かいる?彼女がニューヨークから帰ってきてる?」


すぐには部屋の中に入れず、ドアの前で躊躇していると、ドアから幅4cm長さ10cm厚さ1cm位の頑丈な鉄のカギが飛び出したまま!

その時、初めてドア枠が壊されている事に気がついたのです。
イタリアのドアの施錠は、カギを差し込んで何度も何度もカギを回し、その度にガチャンガチャンと頑丈なカギがドア枠に入って行くシステムです。
日本のように一度だけカチャンと回しておしまいではありませんから、簡単にドアを開ける事は出来ません。だから、ドア枠を壊したのでしょう。


恐る恐るドアを開け部屋の中に入ると・・・。
そこは、まるで日本のドラマで見るような光景でした。
全てのクローゼット・引き出しが開いており、中から殆どの洋服が無造作に飛び出していました。


泥棒に入られたのです。



つづく

(記憶を掘り起こして書いております。中々更新が出来ないと思いますが、お付き合い下さい)
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by sole-e-luna | 2008-06-08 01:57 | 事件 | Comments(12)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶57》・・・三度目のパリ パート2 1986/10   



パリに到着。
シャルル・ド・ゴール空港は、いつもよりは警戒の厳しさを感じるものの、すんなりと税関を抜ける事が出来ました。
(日本人だったからでしょう。これも赤いパスポートの威力?)
そのままタクシーで、オデオンにあるホテルに向いました。


アトリエは「レアール」にあるのですが、レアール近辺のホテルがどこも満室で、私は地下鉄でレアールから数駅先のオデオンにホテルをとりました。


翌日、レアールのアトリエに顔を出し、テロの内容を聞いたところ、地下鉄のレアール駅で爆弾テロがあったとのこと。
(それがきっかけとなり、ヴィザが必要になったのです)
また、「サンジェルマンデプレ」でも、先週の夜、拳銃乱射があったと言っていました。
とは言っても、パリの街中はいつも通りで、話を聞かなければテロがあったなんて分らないくらいです。



パリコレ前日の夜・・・。
ショーサンプルのお直しを手伝っていたら、あっという間に深夜3時。
日本人スタッフはアトリエから歩いて帰れるホテル。
私は一人タクシーに乗り、オデオンに向ったのです。

オデオンのホテルは、確か三ツ星だったと思いますが、大通りには面しておらず、ホテルの前の道は遊歩道です。
私は、遊歩道に入る手前でタクシーを下り、歩いてホテルに向いました。

が、ホテルの目の前に着いてびっくり!
入り口が閉まっているのです。
(閉まっているというよりも、閉鎖されてる?)
通りに面したところに、ガラスの扉があったのですが、それを覆うように頑丈な木戸が閉まっているのです。
いくら木戸を『ドンドン!』と叩いても、まるで反応がありません。

10月のパリ、かなり寒くなる時期です。
私は薄手のコートで震えていました。
深夜3時、遊歩道を歩く人なんて誰もいなく、周りは不気味なくらいにシーンとしていました。

その時、突然「バン!バン!バン!」と拳銃のような音が鳴り響いたのです。
オデオンは、地下鉄でサンジェルマンデプレの隣の駅です。


・・・もしかして、テロ!?

どうしよう!
ものすごく近いような気がする。
こっちに来たら、どうしよう。
どこかに隠れなくちゃ。
私は寒さと恐怖に震えながらキョロキョロと辺りを見回しました。
隠れられるとこなんて、どこもないじゃない!
ゴミ箱すらもない。
建物の陰もない。。。


その時、木戸の横で、微かに灯かっている呼び鈴を見つけたのです。
もぉ〜押しまくりました!
何度も、何度も、周りをキョロキョロ確認しながら!



数分の後、眠そうな目を擦りながら、ホテルのスタッフが木戸を開けてくれました。

彼・・・「どうしてこんな時間に帰ってくるんだい?」
私・・・「仕事をしていたから・・・。」

たった、これだけの会話をし、私は部屋に入りました。
あまりにも精神的に疲れてしまい、言葉が出なかったのです。
結果、何事もなかった訳ですが・・・怖かったぁ〜。。。
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by sole-e-luna | 2007-10-27 02:30 | 事件 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶56》・・・三度目のパリ 1986/10   



《イタリアの記憶》を最初から読んで下さっている皆様は、「えっ?いつの間に三度目のパリ?」と、思うのではないでしょうか?

一度目は、1985年のクリスマスからお正月にかけて。
かなり、ハチャメチャなおもしろ旅行だったので、後ほどかる〜くブログに掲載しようと思っています。

二度目は、翌年1986年3月、日本のブランドのパリコレ見学を兼ねてお手伝いに。

そして、三度目は、1986年10月、やはり日本のブランドのパリコレの為です。
パリへの出発日が決まり、航空券を手配したところ、日本人がフランスに入国する為にはヴィザが必要になったとの連絡が入りました。
それまでは旅行の場合、ヴィザは必要なかったのですが、急遽ヴィザが必要になった理由とは・・・『テロ』


出発までに日にちがなかった為、慌ててミラノのフランス領事館に行ったのです。


そこで、思った事・・・。
領事館員や大使館員は、何故現地の国の言葉を話さないのでしょうか・・・?
フランス語なんて、全く分らないのに、私の話すイタリア語に対し、フランス語で返してくる領事館員。と言う事は、イタリア語を理解しているはずなのに・・・。
そして提出書類も全てフランス語(フゥ〜)
私は書類をアトリエに持ち帰り、イタリア人に記入してもらいました、
そして無事、出発前にヴィザを取得出来たのです。
(イタリア人は弟2語学にフランス語をとっている人が多いのです。また、フランス語とイタリア語は、ラテン語を語源としている為、発音は出来なくても訳す事は出来たりします。私も滞在後半には、多少フランス語を理解することが出来るようになりました)
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右にヴィザのスタンプが押してあります。
許可がおりた日数は、たったの6日間。
パリは、本当に厳しい状況だった訳です。
(ちなみに翌年もヴィザを取得しているのですが、90日間でした)


・・・テロ中?のパリのお話は、次回へ続きます・・・





ここで領事館のお話をちょっと・・・
私は、今までヴィザが必要になる国への渡航が殆どなく、行った事があるのは、ミラノのフランス領事館と日本領事館、そして日本のアメリカ大使館だけです。
日本のアメリカ大使館では、書類は英語でしたが、会話は日本語でOKでした。


ミラノの日本領事館での出来事です。
滞在2年目頃、やっと労働許可証がおりた為、「届け出た方がいいのかな?」と思い、ミラノの日本領事館に行ってみました。
そこで、びっくり!
営業時間が短か過ぎるのです。
はっきりとは覚えていませんが、午前中は一時間半位、午後は一時間位しか、窓口があいていないとのこと。
更に、日本の休日(パブリックホリディ)と、イタリアの休日、両方ともに閉館。
一体、年間を通して何時間働いているの???と思いました。
きっと、銀行のように、窓口が閉まった後も、時間まではせっせと働いているのでしょうけど(そう願います)

結局、私の場合、届け出の必要はなかったのですが、丁度、私が領事館を出ようととした時、一人の中年の男性が飛び込んできました。
『スカラ座の前で、ジプシーに囲まれて、気がついたら、パスポートとお財布を盗まれていた』と言うのです。
その方は、その日の夜、日本に帰国しなくてはいけないらしく、航空券は盗まれていないので、パスポートを早急に発行して欲しいとの要望でした。

そこで領事館員が言った事・・・
『日本の運転免許証を持っていますか?持っていないんですね。。。運転免許証は写真も貼ってあり本籍も書いてあるので、再発行の場合、スピーディーに処理出来るのですが、持ってないとなると、あなたが日本人だという証明はありませんから、パスポートの発行は出来ません』

この言葉を聞いて、「確かに確かに」と私も納得しました。
見た目が日本人で、日本語を日本人と同様に話せても、日本人かどうかは分らない。在日の方もそうでしょうし、現在に至っては、ハーフの方も多く、日本で暮らしていても、国籍は違うって事も多いでしょう。

それでも、その男性は、どうにか今日中にパスポートを発行してもらわないと、帰国できない為、免許証提示以外に方法がないかを領事館員に訪ねました。

『では、日本に取引銀行があれば、その銀行のミラノ支社に行って下さい。ミラノ支社から日本に確認を入れてもらい、銀行を保証人として、あなたが日本に住む日本人である事を証明してもらえれば、パスポートの仮発行を致します』
その男性は、銀行のミラノ支社の場所を聞いて、急いで出ていきました。

が、領事館員・・・意地悪です。
銀行の窓口営業時間は決まっています。
その時点で、(銀行の)午前の営業時間は既に終わっていた為、午後の営業時間を待っていたら、今度は日本領事館はクローズしていまいます。
そういった説明は、一切していませんでした。

その男性が、その後どうなったのかは分りませんが、その日にパスポートが発行されなかった事は確かな筈です。
その男性が日本人かどうかは分らないにしても、領事館は、あまり日本人を守ってはくれないんだなぁ、と実感した出来事でした。
ちなみにその領事館員、全く目を見ずに話すのです。ずーっと視線を外して話す姿は???でした。



私は、一度だけ航空券を無くしてしまった事があります。
パリ〜ミラノ間の航空券で、パリに着いてから帰りのチケットをいくら探しても見つからなく、最悪、自腹で夜行電車で帰るしかないな・・・と思っていたのですが、航空会社に電話をしたら、空港内に落ちていた私の航空券を偶然にも航空会社のスタッフが拾ってくれていた事が分り、自腹をきることもなく無事にミラノに戻る事が出来ました。

今までパスポートをなくした事はありませんが、海外で身元を証明する唯一の物!
現在のパスポートは小型化になり、便利な大きさになりましたが、2種類共に、色は赤い方が良いように思います。
何故なら、私は赤いパスポート(以前は赤のみだった)のお陰で、随分と特をしているのです。。。
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by sole-e-luna | 2007-10-21 02:22 | 事件 | Comments(4)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶46》・・・恐ろしい地球の記憶   




初めてのヴァカンスを迎える数ヶ月前のことです。
1986年3月、どうにか初コレクション(ファッションショーと展示会)を終え、その後の量産準備もある程度スタッフに引き継ぎが済み、4月、日本への一時帰国がやってきました。
旅行者としてイタリアに滞在していた為、本来なら3ヶ月で一旦帰国の予定でしたが、なんやかやと仕事に追われ、帰国できたのは4ヶ月後のでした。

約20日間の日本滞在です。
その間に、イタリアで仕事上必要な物や、生活する上で足りない物などを買い揃えたり、春スキーに連れていかれたり(知らない間にメンバーになっており、初心者の私は恐ろしさの極地で、その後二度とスキーをする事はありません)、実家に帰ったりと、バタバタとした毎日を送っていました。

イタリア出発数日前、恐ろしいニュースがテレビで放映されました。
チェルノブイリの原発事故・・・

日本では、「他所の国の出来事」という感覚で、「私たちには被害はない」というような雰囲気だったように思います。
ちょうど、パリのスタッフも東京のアトリエに帰ってきており、「風はチェルノブイリからイタリア方向に向って吹いているらしいよ」なんて脅かされました。


いよいよイタリアへ帰国です。

ミラノに着いたら、出発前と幾分か様子が違います。

新鮮な野菜がまるで売っていないのです。

友人から、様々な諸注意を受けました。
① 土の上の野菜は食べてはダメ(ジャガイモ等の根菜類はOK)
② フレッシュ牛乳は飲んじゃダメ(イタリアには長期間保存できる牛乳も売っていて、事故前の保存牛乳しか飲んではいけない)
③ ミネラルウォーターは事故前の製造日の物しか飲んじゃダメ
etc・・・
豆類は食べても大丈夫とか、ダメとか、意見も錯綜していました。


イタリアでは、新鮮野菜が食べられない日が、一ヶ月近く続いたのです。
その間は、水煮になっている缶詰め/瓶詰め野菜か、ブロッコリーやインゲン等の冷凍野菜しか口に入れる事は出来ませんでした。
私は、お肉を食べない代わりに、バカみたいな量の野菜を食べるのですが、私にとってこの期間は、呼吸が止まりそうな位につらかったです。

上記の物は、お店では売っていない事が殆どでしたが、ミネラルウォーターなどは、気をつけて製造日を見ないと、事故後の刻印の物が混じっていたりするので、要注意でした。
(フレッシュ牛乳は、パッケージがまるで違うので間違える事はありません)
それでも、何週間か過ぎると、内緒で葉もの野菜を売っているお店もあったりして、無性に食べたくなったのを記憶しています。

つい最近、知人に聞いた話ですが、イタリアには、放射能を調べるすごい機械があるらしく、ヨーロッパの諸外国よりもいち早く、対応をしたようです。


でも、今、改めて思う事・・・。
水道水は、料理に使っていたよなぁ〜
パスタを茹でる時とか・・・
ジャガイモや人参は食べても大丈夫って言われていたけど、土の中は、本当に大丈夫だったのだろうか・・・?
人参なんて、土の奥深くで育っている訳じゃないし・・・
被爆した野菜を食べたら、体に影響を及ぼすの?
既に私たちは、土の上で生活している訳で、人類自体が多少なりとも放射能を浴びてるよね・・・


いずれにしても、チェルノブイリの人たちに比べたら、本当に本当にささやかな被害でしかなかったとは思います。
一瞬にして、廃墟の街を作ってしまった原発事故。
映画ではなく、現実に起こってしまった。
決して起こってはいけない出来事であり、何百年もの間、放射能が消える事もない・・・
近い将来、諸外国に暮らす多くの人類に影響が出ない事を願って。。。



《余談》
私、献血が出来ないんです。
と言うか、本人はしたいのに、血をとってくれないんです。
原因は、ヨーロッパ滞在。狂牛病の件で、献血除外だそうです。
私はお肉を食べないとは言っても、スープは飲んでいるから、ダメですね・・・
血液を必要としているB型の人、ごめんなさい。
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by sole-e-luna | 2007-08-23 21:36 | 事件 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶11》・・・本当に恐ろしかった一夜   



 イタリアに着いて半月の頃。お正月が過ぎて早々の出来事です。
 その日は、深夜12時前に仕事を終え、デザイナーと一緒にお酒を飲みに街へくり出しました。会話とアルコールで気分良くなり、ホテルに戻ったのが深夜2時。私はフロントで鍵を預かり、5階にある部屋へと向いました。

 私の泊まっていたホテルは、長期滞在者向けのホテルで、部屋のドアを開けると日本でいう玄関のようなスペースが3帖ほどあり、左にはバスルームのドアとキッチンのドア。玄関の正面にはベッドルームに入るドアがあります。ベッドルームに入ると、左側中央にベッドが横に置いてあり、ドアの正面は窓です。その部屋はかなり広く、12帖以上あったように思います。

 ヨーロッパの建物は、どこも暖房設備が行き届いており、部屋の中ではTシャツだけで十分に過ごせます。冬の暖房費代が高額になってしまう為、アパートやマンションは約4〜5ヶ月分の暖房費を12ヶ月で割って、毎月家賃と一緒に支払うのです。

 その日、私はシャワーを浴びた後、Tシャツと短パンで早々にベッドに入りました。暗がりが苦手な私は、いつものようにベッドサイドのライトを点けたまま休みました。

 深夜4時、ふと目が覚めました。本当に“ふと”目が覚めたという感じです。私は左側の窓を向いて寝ていたのですが、何気に右側を向いたら・・・

 私の右手を両手で握りしめて、ベッドにひざまずいている男の人がいるんです。じっと私の寝顔を見ていたようです。私はあまりの恐ろしさに叫び声もあげられませんでした。(まるで声が出ませんでした。人間は本当に恐ろしい時、声が出ないものだという事が分りました)

 英語で「出て行って」と何度も言いました。男の人は「何故そんな事を言うんだい?」と言ったように思います。私は毛布で全身を覆い、窓から逃げようか、部屋から飛び出そうかと思案しました。が、窓の外は雪。5階から飛び降りるのは不可能。それにTシャツ1枚で部屋の外に出てもどうしようもない・・・結果、「出て行って」と繰り返す事しか出来ませんでした。
 何度も何度も言ううちに、その人は本当に出て行ってくれました。

 その男の人は、ホテルのフロントマンでした。合鍵を使って入ってきたのです。14歳くらいにしか見えない日本人の女の子が、毎夜遅くにホテルに戻ってくる訳ですから、その人も私の事を不思議に感じていたのかもしれません。
 
 破裂しそうなくらいに私の心臓はどきどきしていました。やっと出て行ってくれたという安堵もありましたが、恐怖心が覚めず・・・それでも序々に鼓動が治まり始めた頃・・・「カチャ」とドアの開く音が聞こえ、またその人が入って来たのです。彼はココアをトレーにのせ「シニョリーナ、ココア飲む?」と笑顔で言いました。私は「出て行って」を繰り返しました・・・その時はすぐに出て行ってくれました。
 私はドアの内側にスーツケースを立て掛け、外からドアが開けられないようにして一晩を過ごしました。

 翌日、デザイナーにその夜の件を話しましたが、親身に話を聞いてくれません。(デザイナーはイタリア人ですが、3年間日本で暮らしており、私たちは日本語で会話をしていました)こうなったら、自分の身は自分で守らなくていけない!と腹をくくり、丁度日本から大きなパッキンが沢山届いていたので、部屋に入るとすぐ、ドア前にパッキンを積み上げていました。

 そのホテルは四つ星クラスのホテルでしたが、殆ど毎夜彼がフロントに立っていました。想像ではありますが、彼はお金の為に毎夜勤務していたのではないでしょうか。目つきもおかしかったので、薬をやっていたとしか思えませんでした。
 事件から数日後、アパートが見つかった為、やっとホテルから出る事が出来ました。

 その約2年後、私のイタリア語が随分上達した頃、昔話を話すかのようにデザイナーにホテルでの出来事を話しました。「本当にあの時は冷たかったよね〜こんな事があったのに、大丈夫だよって言ってとりあってくれないんだもん」と、笑って話す私の前でデザイナーの顔色はみるみるうちに変わっていき・・・。彼は、ホテルマンがドアの前に来ただけだと思ったらしいのです。そういう事だったら、すぐにホテルを変えただろうし、警察に届けたのに・・・と悔やんでいました。
 当時、私たちは沢山会話をしていた筈ですが、実は半分も通じていなかったのかもしれません。(苦笑)

《追記》これからイタリアへ行こうと思っている方へ
上記事件は、通常起こりえない事ですので、安心して旅行をお楽しみ下さい。
上記のホテルは現在も実在しますが、部屋に入ってきた男性は、その後すぐ、私の件とは別件で解雇されたようでした。
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by sole-e-luna | 2007-06-08 01:13 | 事件 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶8》・・・摩訶不思議   



私の身長は159cm。
朝は159.7cmくらいで、夕方計ると159.4cmくらいになる。
きっと、引力で縮むのだ!と、勝手な解釈をしています。

イタリアから一時帰国したある日。
日本のアトリエに顔をだし、仲良しの同僚と立ち話をしていたら

あれれ?
私より大きな人だったのに、私、彼女を見下ろしてる・・・

彼女からも「大きくなってな〜い?」と言われ・・・

イタリアでは健康診断がなかったので、身長を計った訳ではないが、162cmくらいの彼女を見下ろしたと言う事は、私の身長は163cm以上あったと言う事で・・・???

が、完全帰国をし、約半年後の健康診断での結果は、やはり159cm。

そこで、私はひらめいた☆
イタリアは日本より引力が弱いのではないか・・・?
それしか考えられない!
各国の引力について、調べている人はいないのかなぁ〜?
誰か、知っていたら教えて下さい。
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by sole-e-luna | 2007-06-04 23:00 | 事件 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶7》・・・警察に包囲される   



イタリアに着いたのは12月19日でした。
数日後にはクリスマスホリディがやってきて、クリスマスはパリで優雅な休日を過ごしました。
ここまでは、良かったのです。ここまでは。
そして、ミラノに戻った私は現実を見る事に・・・

ミラノに戻った私の前には、約2ヶ月の間にコレクションのパターンを一人で全て引かなくてはいけないという重労働が待っていました。
毎日毎日、朝から深夜まで鉛筆と定規を振り回し、それこそ鉛筆を一日1本使いきるような勢いでパターンを引き続けていました。(本当に一本使いきっていました)
私の仕事が終わるのを、デザイナーは呑気に待っているのですが、待たれるのが嫌いな私は、ある日を境に先に帰ってもらうようにお願いしました。
その日から私は仕事が終わるとタクシーを電話で呼び、一人でホテルに帰るようになったのです。

ある日、いつものようにタクシー会社に電話をし、こちらの住所と電話番号を言うと、何番のタクシーが何分後に到着すると答えてくれたと思うのですが、当時の私は言葉がまるで分らない状態で、電話を切ったら急いで外に出て、目の前に停まったタクシーに乗ればOK! という位にしか考えていませんでした。
が、待てど暮らせどタクシーは来ないんです。
当時のアトリエはモンテナポレオーネ(高級ショッピング通り)にあったのですが、既に深夜3時を過ぎており、気がつくと1台の車が私を見て、行ったり来たりしている始末。建物の門はオートロックで閉まっており、鍵を持っていない私は建物に入る事も出来ず「さっさと歩いて帰ろう」と決断しました。
歩いても長期滞在用ホテルまでは15分位だったと思います。

周りを気にしながら、脇目もふらず急ぎ足で歩いていると、ゆっくりと護送車のような車が近づいてきました。
何だかイヤな予感・・・早く過ぎ去ってくれぃ〜とは思っても、私の横を護送車がゆっくりと付けてくるのです。
周りには歩いている人もいなく、車も走っていません。当たり前です。明け方前ですから。
そうしたら、護送車が私の横でいきなり停まり、中から警官らしき人が一気に5人くらい下りてきて、私を取り囲んだのです!

以下、お互いたどたどしい英語での会話です。

「君は何人だ」
〜日本人です〜

「パスポートを見せなさい」
〜あなたは誰ですか?〜

「警察だ」
〜”police”と書いてないから警察じゃない!私は警察の人でない人にパスポートは見せない!〜

その人は ”polizia”(ポリツィア) と書いてある胸の刺繍を摘んで「私たちはポリスだよ」
〜いやっ!ポリスじゃない!スペルが違う〜

その人は困った顔をして「本当にポリスなんだよ」

〜・・・分った、パスポートは見せるけど〜
 と言って、警官らしき人にパスポートを差し出す

じっくりと私のパスポートをチェックする警官・・・

「どうしてこんな時間に一人で歩いているんだい?」
〜仕事をしていてタクシーを呼んだんだけど来なかったから〜

「どこまで帰るの?」
〜すぐそこのレジデンス〜

警官はパスポートを私に返してくれ
「気をつけて帰るんだよ  おやすみ」

と言って、別れたのでした。
その後、”Polizia”(ポリツィア)とはイタリア語でポリスの事だという事を、すぐに知りました。
我ながら、若かりし頃の私は度胸があったなぁと関心してしまいます。
しかし、上のやりとりはまるで「スネークマンショー」を思わせる会話ですよね(笑)
(スネークマンショーを知っているあたり、年がばれますね)
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by sole-e-luna | 2007-06-02 23:00 | 事件 | Comments(2)