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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 Mac 燃える・・・   



3月の中旬、遂にウインドーズからマックブックに移行しました。
最初は、全てが逆で慣れるのに時間がかかるかな・・・
と感じたけど、慣れてしまえば「あら、簡単!CM通り」って思っていた矢先の事

某日、深夜。。。
電源のアダプターが差し込んでいるにも関わらず、バッテリーの数値が70%
「あれっ?」と思い、アダプターをさし直した途端☆
「ぱちっ」という音と共に、PCの電源が落ち、キーボードから煙がボワ〜ッ・・・

じっとPCを見つめる私
いやぁ〜な燃えた匂い
やばいやばい
全てのケーブルを外さなきゃ!

スピーディーにケーブルを外し、PCの底面を見ようと傾けたら
2度目の煙が立ち上がり・・・
(私にはシュワーという音が聞こえたように感じた)
その光景はまるでMr.ビーンの映画を見ているよう

このまま燃え上がったらどうしよう・・・
既に深夜1時
部屋の中には置いておけない
我が家が火事になる・・・
どこに置こう・・・
庭の真ん中が一番安全だけど、雨が降ったら保証がやばい
傘を挿しておく?
あぁ〜そんな事をしたら早起きした父が、びっくりしちゃう
駐車場? ダメダメ!車が燃える
色々考えた結果、ガラス張りの温室の中へ一晩放置する事に・・・

色々な不安を抱え、朝を迎える
恐る恐る温室に入り、PCを見ると
外見はきれいなまま
汚れなき、真っ白なマックブック
が、燃えた匂いがかなりする
この子は深夜一人で燃え続けていたのだろうか・・・

そのまま電気店へ直行!!!

私 「先月購入したマックブックが、昨夜、燃えたんです」
店員 「えっ?燃えた?」
・・・店員フリーズ・・・



約3週間の入院後、マックブックは退院し我が家に戻ってきました
開い時に、燃えた匂いがかすかに残っていたのは気になるけるけれど
ハードが無事だったのが何より何より!
しかし、燃えた原因が報告書に記載されていないぞ★

また燃えたらどうしよう・・・という不安を抱えながら
このブログを書いています

しかしまぁ、マックが燃えた話を周りにすると
みんな笑うんだよねぇ・・・
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by sole-e-luna | 2007-05-31 23:00 | 日々の出来事 | Comments(4)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 500円分の満足   



ある日、私よりも15歳も若い男の人と、お茶を飲むことになった。
たまたま10分くらいの時間が空いたので「cafeに行こう」となったのだ。
お会計の際、私が500円を出したら、彼は「これはいいよ」と言って500円を返してくれた。
私は「ごちそうさま」と言ってcafeを出た。

その後、ずーっと気になっていた。
15歳も若いんだから、私がごちそうするべきだったのではないか?

先日、ある人に状況を説明し、私はどんな行動をとった方がベストだったのかを聞いてみた。

「それで良かったんだよ」
「あなたはお金を払おうとしたんでしょう?」
「その姿だけで、その人には500円分以上の満足があるんだよ」

何だか男の人って、かっこいいですね。
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by sole-e-luna | 2007-05-30 23:00 | やさしい時間 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 自然を愛して 自然に愛されて   



わたしは外に出ると 必ず空を見上げる

きれいな夜空が見えたり

きれいな青空が見えたり

きれいな空気が見えたりする

そんな瞬間わたしは 宇宙に守られている感覚に満たされる

孤独を忘れ 自然からの祝福に幸せを感じる

自信のないわたしを応援してくれているような気がする

そして無償の愛を与えてくれている自然に感謝する
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by sole-e-luna | 2007-05-26 23:00 | やさしい時間 | Comments(2)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶6》・・・霧の風景   



初めてその景色と出会ったのは、ミラノに着いて数日後のことでした。
 夜、レストランに向かうため車を走らせていたときです。その夜は、街中が霧に包まれており、”サワサワ”と囁くような霧の声だけが感じられる静かな夜でした。
 フロントガラス超しにぼんやりとした街並が過ぎ行くなか、突然目の前に現われたのはミラノのシンボルとも言えるドゥオモ(ゴシック建築の教会)でした。無数の細かい霧が、ドゥオモを優しく包み込み、ミラノを守っていると言われている頂上のマドンニーナ(マリア様)だけが、やけに神々しく灯かって見えました。いきなり現われたその景色は、言葉では表現できないくらいとても幻想的なものでした。

 寒い季節、ミラノに霧が立ちこめるのは、運河が多いからかもしれません。私の住まい・アトリエは運河に面していましたので、帰路の際、霧の中を歩く事がたびたびありました。霧の世界はまるで無声映画のように周りの音を消してくれます。街灯の灯りがかすみ、とても静寂したときが流れます。そんな中わたしは、過去を振り返ったり、未来を思い描いてみたりと、ひとりの時間を楽しむのです。
 日本の霧は紫帯びたグレー色に感じますが、イタリアの霧は街灯の色の違いかオレンジ帯びた琥珀色です。
 ある日、イタリア人の友人と霧の中を歩いているとき「私たちって、映画のワンシーンを撮られている女優みたい」って言ったら大笑いをされました。


《余談》
 視界が十メートルあるかないかの深い霧の中、一般道で友人数人と車のレースをしたことがあります。どの車が先に目的地に着けるかを競うレースだったのですが、目前にならないと信号も見えないほど危険な状態の中、急ブレーキの連続で私は何度も助手席のベンチシートから落ち、その度に大笑いしたのを覚えています。結果は私たちの車が一番でした!
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by sole-e-luna | 2007-05-23 23:00 | 心に残る風景 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶5》・・・灯りの価値観   




 ヨーロッパを旅した人なら、夜の街並の色が日本とは違うことに誰もが気づくことでしょう。
 蛍光灯で溢れかえる日本とは異なり、ヨーロッパは白熱灯(ウォームオレンジ)が一般的です。路を照らす街灯、建物をライトアアップする照明、車のライトさえもウォームオレンジです。
 
 パリに住んでいる友人から、こんな話を聞きました。
“街並の色を乱さないように、全ての灯りはウォームオレンジに統一なんだ”
 ミラノも、街の中心は全てウォームオレンジの灯りです。蛍光灯は、目を細めたくなるくらいの眩しさですが、白熱灯は“目”に“からだ”に、やさしく感じます。
 イタリア人にとって、夜が暗いのはあたりまえ。昼間のように明るくする必要はなし、ってことではないでしょうか。どこのお宅に伺っても、間接照明が上手に配置されていたりします。真っ暗では何もできないから、少しだけ灯りを灯しましょうよ!って感じです。

 私の住まいは「家具なし」の物件だった為、電気も全て自分で取り付けなければいけない状態でした。引っ越しを手伝ってくれた友人が、ベッドルームを指して「この部屋は寝るだけだから電気は取り付けなくていいね」って言いました。結局、その部屋には本を読む為だけの小さなライトをベッドサイドへ置きました。10畳以上ある部屋でしたが、夜の時間を過ごすには小さなライトだけで十分でした。

“夜は夜らしく” “目にやさしく” “からだにやさしく”・・・これが心やすまる空間の創り方かもしれません。
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by sole-e-luna | 2007-05-22 23:00 | 物の考え方 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶4》・・・古き物を愛して   




 使い捨て文化が蔓延している現在の日本では、建物・家具・洋服と、ありとあらゆる物が使い捨て続けられているように感じます。古い物を恥ずかしいと思ってしまうのでしょうか。また、戦後アメリカ文化がどんどんやってきて、物を大切にするという日本人らしさを失ってしまったのかもしれません。
 イタリアでは、古ければ古いものほど価値あるものとして大切にされています。それは日本人が骨董(お宝)を大切にすることとは若干違う意味を持っているように感じます。

「この家は1800年代に建てられたの。素敵でしょう!」と友人の家を紹介されたことがあります。そのたたずまいは、当時を代表する建築様式で造られており、長い歴史を感じさせてくれました。仮に今、同じ建物を造ったとしても、それは模倣でしかありません。何百年という時を経たからこそ、趣のある素晴らしい建物なのだと思います。

「この家具はひいお婆ちゃんがお嫁に来た時に持ってきた物なの。素晴らしいよね!」と5歳の男の子が頬を紅潮させ自慢していました。それはピカピカに磨かれており、今も家族に愛されている家具であることがわかりました。きっと、ひいお婆ちゃんからお婆ちゃんへ、お婆ちゃんからお母さんへ、そしてお母さんから男の子へ、その家具にまつわるストーリーが受け継がれているのでしょう。男の子も既にその歴史を理解しているようでした。


 古い物はただ古くさい物ではなく、長い歴史を静かに見守り、たくさんの人に触れられて、あたたかい物になっていくのではないでしょうか。そして、現代を生きる私たちに穏やかな空間を提供してくれるのです。
 そこには、変わらない事への安心を感じます。


《余談》
 私の友人が住んでいたアパートは、オバケが出そうなくらい古い建物でした。ある日、友人がその部屋の壁を紙ヤスリでこすってみたところ、何と奥から壁画が出てきました。遠い昔に誰かが書いた壁画に、長い時を経た今、私たちは触れる事が出来るのです。いい具合に色褪せたあたたかい壁画でした。
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by sole-e-luna | 2007-05-21 23:00 | 物の考え方 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶3》・・・ヴェネツィアへ行こう!   



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 『CITTA TRISTE』(チッタトゥリステ)
 イタリア人はヴェネツィアのことを『哀しい街』と云います。それは、いつの日か海に沈んでしまう街だから・・・。
 四季の移り変りにより、ヴェネツィアは様々な色に変化します。私は、最初に行った冬のヴェネツィアが一番ヴェネツィアらしいと感じています。

 ある冬の日曜日。早起きをして、ミラノから列車に乗り、ヴェネツィアへ!
 六時に起床。もちろんミラノだって冬は寒い。ミラノの緯度は青森県と一緒だから。
 鼻の頭を赤くして白い息を吐きながら、トラム(路面電車)に乗ってミラノの中央駅を目指す。途中、日曜日ならではの“蚤の市”を発見するが、立ち寄っていたら列車に間に合いそうもない。後ろ髪を引かれる思いでトラムに乗り込む。
 ミラノ中央駅に到着。建物自体が博物館のような駅で、ヴェネツィア行きの往復チケットを購入し、中央階段を上ってホームへと進む。ヴェネツィアまではインターシティー(特急)で約三時間。そういえば朝食を摂っていない。コーヒーとブリオッシュ(デニッシュ)を買い、列車に乗り込む。
 時間通りに列車が動き出した。日本と違って発車のベルが鳴る事はありえない。発車前に係員がドアを順に閉めていき、時間になると、かすかな音をたててゆっくりとゆっくりと列車は動き出す。
 コートを上着掛けに掛け、身軽になったところで、まずはコーヒーを飲みながらブリオッシュで腹拵えをする。外の景色が見たいのに、列車の中は暖かくて、ついウトウトとしてしまう・・・
 ハッと気が付くと、あと十分位で到着しそうだ。外の景色は・・・?なんてことだろう!海の上を列車が走っている!線路の両サイドは海・海・・・まるで、列車の形をした船に乗っているような感じ。水面が太陽の輝きをうけ、キラキラと光っている。冬の海だというのに、まばゆい色をはなっている。そしてうっすらともやがかかっている。
 こうしてヴェネツィアの序章が始まった・・・。


 海の上を走りぬけ列車はヴェネツィア駅に到着。
 列車から降り、長いホームを出口へと歩き、駅前広場に出ると、突然目の前に【水の都】がとびこんでくる。そう、駅を出るとそこは既に運河なのだ。
 バポレット(水上バス)に乗ってサンマルコ広場に向う。満ち潮の時には広場全体が海水に浸ってしまうサンマルコ広場。途中、水上タクシーや水上パトカーとすれ違う。ヴェネツィアには車が通れるような道路はない。あるのは運河と、運河に架かる数え切れないほどの橋と狭い道だけ。移動手段は徒歩か船。
 サンマルコ広場の有名なbarでカプチーノを飲む。冷えた体がホッと温まる瞬間。カメリエレ(ウエイター)には、子供のように見えるだろう東洋系の女の子が、この季節一人でヴェネツィアに来たのが珍しいのか、それとも店が暇なせいか、私を相手に世間話を始める。言葉の勉強中だった私は、興味深く耳を傾ける。
 
 この季節のヴェネツィアは観光客も少なく、ゆっくりと街を見渡す事が出来る。心なしか街全体に霞がかかっているようだ。そんな街の色も冬のヴェネツィアらしさを感じさせる。哀しいような淋しいような、言いようのない切なさ。
 寒空の中で運河の上をゆらめく洗濯物を見たり、窓越しに暖かいスチームの中で働く人たちを覗いたり、買い物カゴをかかえた初老の女性が足早に家へ向かう姿を見ていると、「私たちは、日々一生懸命生きていますよ!」と訴えかけられているような気がする。この街で呼吸している人たちの生活が旅人の心に伝わってくる。
 
 路地を歩いていると、仮面屋さんを発見!観光客向けのお土産用ではない。店主が、店先でひとつひとつカーニヴァル用に手作りしている。作る様子を見ていたら、私も一つ欲しいという衝動に駆られた。店主と二人で色々な仮面を試し、私はお気に入りを見つけることができた。 
 帰りがけに店主から仮面の“不思議”を教わった。
「仮面はつける人によって表情が変わるんだよ。その人の顔までが違って見えるんだ。仮面はその人の顔を隠していても、素顔以上にその人の内面を見せてくれるのかもしれないね。」そう言って手元の仮面を付けた店主の顔は、とても優しい愛情溢れる表情になっていた。

 冬のヴェネツィアは本当に寒い。じっと立っていられないくらいに寒い。でも、ヴェネツィアに暮らす人の内に秘めた悲しみと、あたたかさに溢れた心が私の冷えた体に伝わってくる。
 私は冬のヴェネツィアが一番ヴェネツィアらしいと思う。


《余談》
夏のヴェネツィアは観光客で溢れ返り、うかれた街に見えるのは私だけでしょうか・・・?



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ロープを引っぱりながら洗濯物を干します。
こうすれば洗濯物が海に落ちる事もありません。


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ヴェネツィアの病院です。病気も早く治りそうな感じがします。












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子供たち
何だかかわいくって撮っちゃいました。
どこの国も、子供は同じです。
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by sole-e-luna | 2007-05-18 23:00 | 心に残る風景 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶2》・・・小さなレディ   



当時の私の語学力は さんざんなもので
メチャクチャな文法を使って話していました
それでも生きたイタリア語?だったのか
言いたい事は充分に伝わっていたから不思議です

語学力の面で 私といい勝負をしていた友人は イタリア人の3歳の女の子でした

ある日 彼女とおままごとをして遊んでいた時のこと


彼女は三輪車に乗り キコキコとペダルを踏んで外に出て行きました

彼女:「Andiamo」
      (行きましょうよ)
私 :「Dove andiamo?」
      (どこに行くの?)
彼女:「Io vado a complare il profumo」
      (香水を買いに行くの)

おむつがとれたばかりの女の子でしたが 立派なレディでした



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女の子が『小さなレディ』です
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by sole-e-luna | 2007-05-17 23:50 | あたたかい会話 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶1》・・・はじめに   



 1985年12月から1988年11月までの3年間、私はイタリアのミラノで生活をしていました。
 それまでの私は、某デザイナーの下でパリコレブランドのパタンナーをしていました。85年の10月にデザイナーからイタリア出向の話を持ち掛けられ、悩む暇もなくバタバタと準備をし、2ヶ月後にはミラノ行きの飛行機に乗っていたのです。ミラノで新しい洋服のブランドを立ち上げる為、パタンナーとして向かいました。
 現地スタッフの中に日本人は一人もいませんでした。唯一イタリア人のデザイナーが片言の日本語を話すだけでした。
 当時、私は22歳の誕生日を迎えたばかり。今思えば、かなり無謀な決断だったと思います。イタリアがどこにあるのか、何語を話すのかも分らない状態でしたから・・・。全ては「若さゆえ」という言葉に集約されるくらい。

 その年のミラノはとても寒く、毎日雪ばかりが降っていました。街には、車の排気ガスでくすんだ重苦しい石造りの建物が並び、日の出も遅く、朝7時になっても明るくはなりませんでした。「何て国に来てしまったのだろう。」と嘆いたものです。そんな私を、仕事は待ってくれませんでした。毎日毎日、朝から深夜まで仕事に明け暮れていました。
 それでも3ヶ月、半年、一年と過ぎていくうちに、だんだんとイタリアの良さを感じるようになり、イタリアで呼吸しているのがあたりまえの状態になりました。語学学校には一度も行きませんでしたが、3年目には、夢もイタリア語、独り言もイタリア語になっていました。私の仕事のアシスタント達は、優秀なイタリア語の先生でもあったわけです。だから私のイタリア語は、文法こそメチャクチャでしたが、生きたイタリア語だったと思います。
 言葉は世界を広げてくれます。イタリア語を通じて、フランス人・アメリカ人・ドイツ人、スイス人、レバノン人、インド人・・・と、沢山の国の友人が出来ました。彼らから、私が行った事のない国の文化をたくさん教えてもらいました。それは今でも、私の大切な宝物になっています。

 毎日あくせく働いていた私でしたが、それでもイタリアでの3年間の生活は、日本での生活の10年以上の価値があったと思います。嫌だったこと、怖かったこと、屈辱を受けたこと、数え切れない程たくさんのつらい事があったはずですが、今思い出すのは、楽しかったこと、嬉しかったこと、感動したこと、とあたたかい思い出ばかりです。日本人の口からは聞く事が出来ないような表現や考え方を、イタリア人からたくさん教えてもらいました。多くの日本人が忘れている大切なことを思い出させてくれたような気がします。
 もしイタリアに行っていなかったら、私は今も東京で、徹夜あけの赤い太陽を見るような生活を続けていたでしょう。イタリアでの生活が、私を私らしく、人間らしく戻してくれたのだと思います。

 帰国して約20年が過ぎようといている今、その時の記憶を忘れないように、文章に書いてみようと思いました。誰かに見せる為にではなく、自分のかけがえのない思い出として・・・。
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by sole-e-luna | 2007-05-15 23:00 | はじめに | Comments(0)