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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶46》・・・恐ろしい地球の記憶   




初めてのヴァカンスを迎える数ヶ月前のことです。
1986年3月、どうにか初コレクション(ファッションショーと展示会)を終え、その後の量産準備もある程度スタッフに引き継ぎが済み、4月、日本への一時帰国がやってきました。
旅行者としてイタリアに滞在していた為、本来なら3ヶ月で一旦帰国の予定でしたが、なんやかやと仕事に追われ、帰国できたのは4ヶ月後のでした。

約20日間の日本滞在です。
その間に、イタリアで仕事上必要な物や、生活する上で足りない物などを買い揃えたり、春スキーに連れていかれたり(知らない間にメンバーになっており、初心者の私は恐ろしさの極地で、その後二度とスキーをする事はありません)、実家に帰ったりと、バタバタとした毎日を送っていました。

イタリア出発数日前、恐ろしいニュースがテレビで放映されました。
チェルノブイリの原発事故・・・

日本では、「他所の国の出来事」という感覚で、「私たちには被害はない」というような雰囲気だったように思います。
ちょうど、パリのスタッフも東京のアトリエに帰ってきており、「風はチェルノブイリからイタリア方向に向って吹いているらしいよ」なんて脅かされました。


いよいよイタリアへ帰国です。

ミラノに着いたら、出発前と幾分か様子が違います。

新鮮な野菜がまるで売っていないのです。

友人から、様々な諸注意を受けました。
① 土の上の野菜は食べてはダメ(ジャガイモ等の根菜類はOK)
② フレッシュ牛乳は飲んじゃダメ(イタリアには長期間保存できる牛乳も売っていて、事故前の保存牛乳しか飲んではいけない)
③ ミネラルウォーターは事故前の製造日の物しか飲んじゃダメ
etc・・・
豆類は食べても大丈夫とか、ダメとか、意見も錯綜していました。


イタリアでは、新鮮野菜が食べられない日が、一ヶ月近く続いたのです。
その間は、水煮になっている缶詰め/瓶詰め野菜か、ブロッコリーやインゲン等の冷凍野菜しか口に入れる事は出来ませんでした。
私は、お肉を食べない代わりに、バカみたいな量の野菜を食べるのですが、私にとってこの期間は、呼吸が止まりそうな位につらかったです。

上記の物は、お店では売っていない事が殆どでしたが、ミネラルウォーターなどは、気をつけて製造日を見ないと、事故後の刻印の物が混じっていたりするので、要注意でした。
(フレッシュ牛乳は、パッケージがまるで違うので間違える事はありません)
それでも、何週間か過ぎると、内緒で葉もの野菜を売っているお店もあったりして、無性に食べたくなったのを記憶しています。

つい最近、知人に聞いた話ですが、イタリアには、放射能を調べるすごい機械があるらしく、ヨーロッパの諸外国よりもいち早く、対応をしたようです。


でも、今、改めて思う事・・・。
水道水は、料理に使っていたよなぁ〜
パスタを茹でる時とか・・・
ジャガイモや人参は食べても大丈夫って言われていたけど、土の中は、本当に大丈夫だったのだろうか・・・?
人参なんて、土の奥深くで育っている訳じゃないし・・・
被爆した野菜を食べたら、体に影響を及ぼすの?
既に私たちは、土の上で生活している訳で、人類自体が多少なりとも放射能を浴びてるよね・・・


いずれにしても、チェルノブイリの人たちに比べたら、本当に本当にささやかな被害でしかなかったとは思います。
一瞬にして、廃墟の街を作ってしまった原発事故。
映画ではなく、現実に起こってしまった。
決して起こってはいけない出来事であり、何百年もの間、放射能が消える事もない・・・
近い将来、諸外国に暮らす多くの人類に影響が出ない事を願って。。。



《余談》
私、献血が出来ないんです。
と言うか、本人はしたいのに、血をとってくれないんです。
原因は、ヨーロッパ滞在。狂牛病の件で、献血除外だそうです。
私はお肉を食べないとは言っても、スープは飲んでいるから、ダメですね・・・
血液を必要としているB型の人、ごめんなさい。

# by sole-e-luna | 2007-08-23 21:36 | 事件

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶45》・・・飛行時間   



前回のブログに、ミラノ〜成田間の飛行時間を書きましたが、本当に19時間位かかるのはあたりまえだったんです。
当時は、ミラノ〜成田間の直接の就航もありませんでした。

イタリアまでの道のりは・・・
多くは、イタリア近隣の国に到着する便を利用する訳です。

例えば、エールフランスを利用したとします。
成田を出発して数時間後、まずはアンカレッジで給油です。
いったん飛行機を下り、1時間位アンカレッジの空港をウロウロします。
空港内にある約2mくらいはあるであろうシロクマの剥製を見たり
(1回見れば飽きます)
空港から見えるアンカレッジの景色を見たり
(ツンドラの氷原のような感じで、どの季節も代わり映えはなかったような気がします。外の空気は気持ち良かったですが)
1時間の給油時間を過ごした後、また飛行機に戻り、パリを目指します。

成田を出発して、約14時間後(今となっては、不確かですが)パリのドゴール空港に到着です。
そして、ミラノ行きの飛行機に乗り継ぎます。
すぐに乗り継ぎは出来ません。
日本〜パリ間の飛行機が遅れる可能性をふまえて、2時間以上はあいていないと、飛行機の予約がとれないのです。
ドゴール空港に2〜3時間待機し、やっとミラノ行きの飛行機に搭乗出来るのです。
パリ〜ミラノ間は、2時間弱だったように記憶しています。


私は、アンカレッジで給油をするエアラインを利用する事が多かったのですが、中にはモスクワだったり、インドのニューデリーで給油、なんて便もありました。
給油の際、飛行機内の清掃も入る為、一旦飛行機から下りるのですが、機内に置いてきた荷物を盗まれる場合なんかもあったりするので、要注意です。
(モスクワで友人がゲームボーイを盗まれてた!)


ミラノに着くまでに、2度、飛行機を乗り降りする訳ですが、さすがにパリに着く頃には疲れてくるので、ドゴール空港内を散策する元気はもう残っていません。



当時は機内食の回数も多かったんです。
◎成田〜アンカレッジ間(食事2回)
◎アンカレッジ〜パリ間(食事2回)
◎パリ〜ミラノ間(食事1回)
何と、合計5回も出るんです。
寝て起きたら食事、また寝て起きたら食事・・・これの繰り返しです。
自分が家畜になった気分です。。。
(太れぇ〜太れぇ〜って言われてる感じ)
お腹が空く訳もなく(寝てばかりいますから)、2回に1回は食事をパスしていました。

それでもラッキーだったのは、毎回飛行機が空いていた事です。
ジャンボなのに、ガラガラな事が殆どでした。(エコノミーですが)
私は、飛行機のドアが閉まった途端に移動をし、中央の5人席を独り占めしていました。
そして、ぐるぐる巻きに毛布にくるまり、横になって寝るのです。
エコノミー症候群はありえない環境でした。


今は直行便のお陰で、たったの12時間で一気に到着します。
本当にらくちんになったと思います。
食事も2回位になりました。
家畜になる事もありません。

でも、ここ10年くらいは、毎回、ほぼ満席の飛行機にしか乗った事がありません。
12時間になったとはいえ、12時間足を下ろしっぱなしは・・・
これでは、エコノミー症候群まっしぐらです。
飛行機代も、以前と比べると、ほぼ半額以下なので、ギューギュー詰めも仕方ないのかな〜・・・。


そういえば、あんなに栄えていたアンカレッジ空港も、今や給油する便も殆どなくなったと聞きます。
アンカレッジの免税店に大勢いた日本人のおばさんスタッフは、今どうしているのでしょうかねぇ〜?
って言うか、あの人たちは日本語を普通に話していたけど、日本人だったのか???
ラウンジにあった”うどんやさん” 日本の立ち食いそばやさんのような風情で、日本人らしい?おばさんが作ってくれていたけど、あれってまさしく『どんべい』だった。いや『赤いきつね』か?
あれが1,000円って、今でも高過ぎると思うのですが・・・。

# by sole-e-luna | 2007-08-19 02:11 | 国外旅行

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶44》・・・旅行の荷物   



1986年8月
あと数日で8月が終わろうとしているとき、急遽、日本に帰国をしなくてはいけない状況になりました。

本当に急だったので、荷物は大きなナイロンバックに数枚の着替えが入っているだけ。
このナイロンバック、目一杯詰めると20キロは入る優れものでしたが、この時は2キロくらいしか入っていませんでした。

日本の家に帰れば着替えはあるし。
夏だから、着るものも少ないし。
とにかく、早く日本に帰らなくちゃ!

とは言っても、当時は直行便はなく、どうがんばってもミラノ〜成田間は、途中乗り継ぎをして19時間くらいはかかってしまうのです・・・


19時間後、飛行機が成田に着きました。
私は、飛行機のドアが開いたとたん通路に飛び出し、急ぎ足でパスポートコントロールを抜け、税関に向いました。
税関を抜ければ、もうそこは日本。成田のロビー・・・
荷物を預けていないので、税関で長い長い列の後半に並ぶ事もなく、一番のりでした。

私は、どの国に行っても、税関で荷物を開けられた事はありません。
きっと、善良そうに見えるのだと思います(勝手な思い込み?)
一度、日本から出国する時に、開けられそうになったので「開けてもいいですけど、その後、閉めてくれますか?」と言ったら、「じゃ〜開けなくていいです」と言われた事はありました。
その時は、スーツケースだったのですが、ハードケースにも関わらず、見るからに膨れ上がっていたので、係の人も開けた途端に中身が飛び出すのは想像がついたようでした。が、それにしても、そんな理由でチェックを怠るのは???ですが。
(私としては、開けられなくて良かったけど)



その時は、すんなり税関を抜けられると思ったのに・・・あれ?

係の人は、私のパスポートをじっくり見ながら
「どうして、荷物がこんなに少ないの!?」
「半年以上も日本から海外に行っていて、おかしいね・・・!」
「お土産はないの?」
「バックを開けて!!!」

荷物の多い人が、脱税していないかをチェックされるのが普通だと思っていたのに、少なすぎてもチェックの対象になるなんて・・・

結局、『現在はイタリアに滞在している』という事と『帰国の理由』を話したところ、荷物は開けなくて済みました。(開けたところで、たいした物も入ってはいないのですが)


教訓です。
海外から帰ってくる時、荷物は多すぎても、少なすぎても、チェックの対象になってしまうようです。


・・・当時、私は労働ヴィザも滞在ヴィザも取得が出来ていなかったので、税関で突っ込まれなくて良かったです。
ちなみに、労働ヴィザを取得出来たのは、滞在2年目頃でした。
リクエストはしていたのですが、なかなか下りず、その間は不法就労になっていた訳です。
(そう言えば、お給料は手渡しだったなぁ〜)
なかなか取得出来なかったお陰?で、この後、様々なハプニングが起こるのです。。。









《これも、ある種 窓?》
《イタリアの記憶44》・・・旅行の荷物_e0123299_1481031.jpg

ヴェローナには、遺跡のような円形劇場があります。
一見、ローマのコロッセオのような感じです。
劇場の一番上の方の壁に空いていた穴から撮った一枚です。(決して窓ではありません)
この劇場、夏は野外オペラが開催され、実にスバラしいのです。
(夏以外は遺跡にしか見えませんが)

# by sole-e-luna | 2007-08-17 01:53 | 国外旅行