無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶1》・・・はじめに   



 1985年12月から1988年11月までの3年間、私はイタリアのミラノで生活をしていました。
 それまでの私は、某デザイナーの下でパリコレブランドのパタンナーをしていました。85年の10月にデザイナーからイタリア出向の話を持ち掛けられ、悩む暇もなくバタバタと準備をし、2ヶ月後にはミラノ行きの飛行機に乗っていたのです。ミラノで新しい洋服のブランドを立ち上げる為、パタンナーとして向かいました。
 現地スタッフの中に日本人は一人もいませんでした。唯一イタリア人のデザイナーが片言の日本語を話すだけでした。
 当時、私は22歳の誕生日を迎えたばかり。今思えば、かなり無謀な決断だったと思います。イタリアがどこにあるのか、何語を話すのかも分らない状態でしたから・・・。全ては「若さゆえ」という言葉に集約されるくらい。

 その年のミラノはとても寒く、毎日雪ばかりが降っていました。街には、車の排気ガスでくすんだ重苦しい石造りの建物が並び、日の出も遅く、朝7時になっても明るくはなりませんでした。「何て国に来てしまったのだろう。」と嘆いたものです。そんな私を、仕事は待ってくれませんでした。毎日毎日、朝から深夜まで仕事に明け暮れていました。
 それでも3ヶ月、半年、一年と過ぎていくうちに、だんだんとイタリアの良さを感じるようになり、イタリアで呼吸しているのがあたりまえの状態になりました。語学学校には一度も行きませんでしたが、3年目には、夢もイタリア語、独り言もイタリア語になっていました。私の仕事のアシスタント達は、優秀なイタリア語の先生でもあったわけです。だから私のイタリア語は、文法こそメチャクチャでしたが、生きたイタリア語だったと思います。
 言葉は世界を広げてくれます。イタリア語を通じて、フランス人・アメリカ人・ドイツ人、スイス人、レバノン人、インド人・・・と、沢山の国の友人が出来ました。彼らから、私が行った事のない国の文化をたくさん教えてもらいました。それは今でも、私の大切な宝物になっています。

 毎日あくせく働いていた私でしたが、それでもイタリアでの3年間の生活は、日本での生活の10年以上の価値があったと思います。嫌だったこと、怖かったこと、屈辱を受けたこと、数え切れない程たくさんのつらい事があったはずですが、今思い出すのは、楽しかったこと、嬉しかったこと、感動したこと、とあたたかい思い出ばかりです。日本人の口からは聞く事が出来ないような表現や考え方を、イタリア人からたくさん教えてもらいました。多くの日本人が忘れている大切なことを思い出させてくれたような気がします。
 もしイタリアに行っていなかったら、私は今も東京で、徹夜あけの赤い太陽を見るような生活を続けていたでしょう。イタリアでの生活が、私を私らしく、人間らしく戻してくれたのだと思います。

 帰国して約20年が過ぎようといている今、その時の記憶を忘れないように、文章に書いてみようと思いました。誰かに見せる為にではなく、自分のかけがえのない思い出として・・・。
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# by sole-e-luna | 2007-05-15 23:00 | はじめに | Comments(0)