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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶66》・・・パリで年越し パート3   




いよいよ、1985年から1986年へ年越しです。

カウントダウンは、友人夫妻と一緒にサンジェルマンデプレで有名な
Cafe du Flore(キャフェ ドゥ フロール)で迎える事になりました。

フランス風に発音するとキャフェになりますが、イタリアのバールと同様で、お酒も飲める喫茶店といった感じです。

サンジェルマンデプレ自体が、昔から芸術家や文化人が多く集まるエリアで、フロールは歴史上にもあがる偉大な人たちが意見を交わしたりしたキャフェです。


私たちは、カフェオレを飲みながら、そのときを待ちました。


ギャルソンの時を刻むかけ声が始まりました。
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・・・・
そして、キャフェの灯りが全て消されました。

真っ暗闇の中、笑い声や歓声が聞こえます。

数秒後につけられた灯りの下では、お客さんの笑顔でいっぱいでした。


実は、灯りが消されたのには意味があるのです。

カウントダウンの際、真っ暗闇の中では、誰とでもキスをして良い!
知らない人からや、嫌いな人からでも、怒っちゃいけない?みたいなルールがあるのだそうです。
要するに、新年を迎えての無礼講といったところでしょう。
この儀式、パリ全体の習わしなのか、このキャフェの習わしなのかは分りませんが・・・。
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by sole-e-luna | 2008-01-18 01:47 | 国外旅行 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶65》・・・パリで年越し パート2   



寒い寒いパリの街。
一人で色々なところを歩き回りました。


パリに行った事のある人は分ると思いますが、パリ市内は地下鉄がとても便利で、どこにでも簡単に行く事ができます。


ある日、丘の上に見えるサクレクール寺院に行こうと決めました。
寺院の近くまで地下鉄で行き、そこからは人の流れる方向に歩いて行けばもれなく寺院に着くことができます。


寺院に入ると、日本語で話しかけてくる神父様(多分フランス人)がいました。
頼んだ訳でもないのに、その神父様は丁寧に寺院の中を説明してくれました。
が、日本人よりも早口過ぎて、半分位しか理解できない状態。。。
「祭壇の上にかかげてある大きな絵には、着物を着た日本人の女の人が描かれているんですよ」と、絵を指差して教えてくれるのですが、どんなに目を凝らして見ても分らなく、見えたふりをするしかありませんでした。


寺院から出ると、あちこちに絵描きの卵?が大勢います。
観光客をつかまえて、自画像を描いているのです。
あまり興味はなかったのですが、私もある絵描きに声を掛けられ・・・

絵描き「1枚○○フランだよ!描いていかない?」
私  「高いから、やめとく」
絵描き「じゃ〜色を付けないで○○フランにしてあげるよ」
私  「それでも高いから、やめとく」
絵描き・・・かなり困った顔。。。
絵描き「じゃ〜画用紙の半分の大きさに描くから○○フランでいいよ」
私  「・・・そこまで言うのなら」

確か日本円で2,000円もしなかったように記憶してます。
かなり上手な絵でした。
この絵、日本の実家に持って帰ったのですが、翌年日本に帰ったら、私の机の前に飾ってありました。(父が飾って眺めていたようです)


夕方、サクレクール寺院を後にし、サンジェルマンデプレに戻りました。
夕食までには時間があった為、広場の大道芸を見ることにしました。


ある種お決まりの『チャップリン』です。
観客も50人位はいたでしょうか。いや、もっと?
チャップリンなので言葉は喋りません。
無声映画のように物語を作り、観客を巻き込んだりして、そのユニークさが観客に笑いを与えていました。


突然、チャップリンが私の前に来て、手を差し出しました。
訳も分らず、私も手を差し出したところ、チャップリンは私の手をとって、広場の中央へ連れて行き、いきなりダンスが始まったのです。
激しい社交ダンスのような感じでしょうか。
走ったり、回ったりと広場の中央を自由自在・・・。
振り回されるように一緒に踊っている私の姿に大笑いをしている観客。
極めつけはチャップリンからのキス。

夕食前の本当に本当に楽しいひと時でした。



ウキウキ気分で待ち合わせ時間に友人宅へ。

友人「今日はどこに行ったの?」
私 「サクレクール寺院に行ってきたの」
友人「日本語で話しかける神父はいた?」
私 「いたいた!着物を着た日本人が描かれている絵を教えてくれた」
友人「あの神父、早口過ぎて何を話してるのか聞き取れないのよね〜有名なのよ」
私 「確かに・・・」

私 「寺院の周りには絵描きさんが沢山いたよ」
友人「バカな観光客はあの絵に高いお金を払って描いてもらっちゃうんだよね〜」
私 「・・・。」

私 「サンジェルマンデプレの広場に大道芸の人がいて、おもしろかった〜」
友人「あ〜チャップリンでしょう?昔は上手な大道芸がいたけど、最近のは下手だよね」
私 「・・・。」


友人に真実は話せませんでしたが、それでも私は楽しかったから、120点なのです。


つづく。





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夜のサクレクール寺院
写真が下手過ぎます。
ピンぼけです。
実際はもっと素敵なのに・・・。
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by sole-e-luna | 2008-01-14 01:32 | 国外旅行 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶64》・・・パリで年越し   



その計画は、突然決まったのです。


私がイタリアに到着したのは1985年12月19日。
あと数日でクリスマス休暇が訪れようとしているときでした。

初めての海外での生活。
ミラノに知っている人は誰もいなく、それではあまりにも可哀相じゃないかとデザイナーが発案したのが、クリスマスからお正月にかけて、パリでの休暇をキョウコにプレゼントする・・・でした。

パリには、日本の会社のアトリエがあり、もちろん顔なじみの日本人スタッフもいるから寂しくないだろうとの気遣いからでした。


12月24日。
一人で、ミラノから飛行機に乗り、パリのシャルル・ド・ゴール空港へ。
私にとって、初めてのパリ旅行です。

空港まで迎えに来てくれた日本人スタッフの車に乗り、サンジェルマンデプレのホテルに向いました。

パリの日本人スタッフは、日本の休日に合わせて働いていた為、クリスマス休暇とは言っても、みんな普通に仕事をしてました。

と言う事は・・・?
「きょうこちゃんは若いから、昼間は自由に散策なり観光なりしていてね。夜は一緒に食事をしましょうね」


約1週間の滞在。
最低限のノウハウだけを教えてもらい、ウロウロと、フラフラと私は一人パリの街を散策したのでした。
何と、突然決まったパリ旅行だった為、ガイドブックも何も私は持っていなかったのです。


つづく・・・。






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パリの街灯。
以前の記憶にもチラリと書きましたが、このとき私はカメラを持っていなかったので、今回掲載する写真は、1992年に撮ったものです。
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by sole-e-luna | 2008-01-13 00:45 | 国外旅行 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶57》・・・三度目のパリ パート2 1986/10   



パリに到着。
シャルル・ド・ゴール空港は、いつもよりは警戒の厳しさを感じるものの、すんなりと税関を抜ける事が出来ました。
(日本人だったからでしょう。これも赤いパスポートの威力?)
そのままタクシーで、オデオンにあるホテルに向いました。


アトリエは「レアール」にあるのですが、レアール近辺のホテルがどこも満室で、私は地下鉄でレアールから数駅先のオデオンにホテルをとりました。


翌日、レアールのアトリエに顔を出し、テロの内容を聞いたところ、地下鉄のレアール駅で爆弾テロがあったとのこと。
(それがきっかけとなり、ヴィザが必要になったのです)
また、「サンジェルマンデプレ」でも、先週の夜、拳銃乱射があったと言っていました。
とは言っても、パリの街中はいつも通りで、話を聞かなければテロがあったなんて分らないくらいです。



パリコレ前日の夜・・・。
ショーサンプルのお直しを手伝っていたら、あっという間に深夜3時。
日本人スタッフはアトリエから歩いて帰れるホテル。
私は一人タクシーに乗り、オデオンに向ったのです。

オデオンのホテルは、確か三ツ星だったと思いますが、大通りには面しておらず、ホテルの前の道は遊歩道です。
私は、遊歩道に入る手前でタクシーを下り、歩いてホテルに向いました。

が、ホテルの目の前に着いてびっくり!
入り口が閉まっているのです。
(閉まっているというよりも、閉鎖されてる?)
通りに面したところに、ガラスの扉があったのですが、それを覆うように頑丈な木戸が閉まっているのです。
いくら木戸を『ドンドン!』と叩いても、まるで反応がありません。

10月のパリ、かなり寒くなる時期です。
私は薄手のコートで震えていました。
深夜3時、遊歩道を歩く人なんて誰もいなく、周りは不気味なくらいにシーンとしていました。

その時、突然「バン!バン!バン!」と拳銃のような音が鳴り響いたのです。
オデオンは、地下鉄でサンジェルマンデプレの隣の駅です。


・・・もしかして、テロ!?

どうしよう!
ものすごく近いような気がする。
こっちに来たら、どうしよう。
どこかに隠れなくちゃ。
私は寒さと恐怖に震えながらキョロキョロと辺りを見回しました。
隠れられるとこなんて、どこもないじゃない!
ゴミ箱すらもない。
建物の陰もない。。。


その時、木戸の横で、微かに灯かっている呼び鈴を見つけたのです。
もぉ〜押しまくりました!
何度も、何度も、周りをキョロキョロ確認しながら!



数分の後、眠そうな目を擦りながら、ホテルのスタッフが木戸を開けてくれました。

彼・・・「どうしてこんな時間に帰ってくるんだい?」
私・・・「仕事をしていたから・・・。」

たった、これだけの会話をし、私は部屋に入りました。
あまりにも精神的に疲れてしまい、言葉が出なかったのです。
結果、何事もなかった訳ですが・・・怖かったぁ〜。。。
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by sole-e-luna | 2007-10-27 02:30 | 事件 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 《イタリアの記憶56》・・・三度目のパリ 1986/10   



《イタリアの記憶》を最初から読んで下さっている皆様は、「えっ?いつの間に三度目のパリ?」と、思うのではないでしょうか?

一度目は、1985年のクリスマスからお正月にかけて。
かなり、ハチャメチャなおもしろ旅行だったので、後ほどかる〜くブログに掲載しようと思っています。

二度目は、翌年1986年3月、日本のブランドのパリコレ見学を兼ねてお手伝いに。

そして、三度目は、1986年10月、やはり日本のブランドのパリコレの為です。
パリへの出発日が決まり、航空券を手配したところ、日本人がフランスに入国する為にはヴィザが必要になったとの連絡が入りました。
それまでは旅行の場合、ヴィザは必要なかったのですが、急遽ヴィザが必要になった理由とは・・・『テロ』


出発までに日にちがなかった為、慌ててミラノのフランス領事館に行ったのです。


そこで、思った事・・・。
領事館員や大使館員は、何故現地の国の言葉を話さないのでしょうか・・・?
フランス語なんて、全く分らないのに、私の話すイタリア語に対し、フランス語で返してくる領事館員。と言う事は、イタリア語を理解しているはずなのに・・・。
そして提出書類も全てフランス語(フゥ〜)
私は書類をアトリエに持ち帰り、イタリア人に記入してもらいました、
そして無事、出発前にヴィザを取得出来たのです。
(イタリア人は弟2語学にフランス語をとっている人が多いのです。また、フランス語とイタリア語は、ラテン語を語源としている為、発音は出来なくても訳す事は出来たりします。私も滞在後半には、多少フランス語を理解することが出来るようになりました)
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右にヴィザのスタンプが押してあります。
許可がおりた日数は、たったの6日間。
パリは、本当に厳しい状況だった訳です。
(ちなみに翌年もヴィザを取得しているのですが、90日間でした)


・・・テロ中?のパリのお話は、次回へ続きます・・・





ここで領事館のお話をちょっと・・・
私は、今までヴィザが必要になる国への渡航が殆どなく、行った事があるのは、ミラノのフランス領事館と日本領事館、そして日本のアメリカ大使館だけです。
日本のアメリカ大使館では、書類は英語でしたが、会話は日本語でOKでした。


ミラノの日本領事館での出来事です。
滞在2年目頃、やっと労働許可証がおりた為、「届け出た方がいいのかな?」と思い、ミラノの日本領事館に行ってみました。
そこで、びっくり!
営業時間が短か過ぎるのです。
はっきりとは覚えていませんが、午前中は一時間半位、午後は一時間位しか、窓口があいていないとのこと。
更に、日本の休日(パブリックホリディ)と、イタリアの休日、両方ともに閉館。
一体、年間を通して何時間働いているの???と思いました。
きっと、銀行のように、窓口が閉まった後も、時間まではせっせと働いているのでしょうけど(そう願います)

結局、私の場合、届け出の必要はなかったのですが、丁度、私が領事館を出ようととした時、一人の中年の男性が飛び込んできました。
『スカラ座の前で、ジプシーに囲まれて、気がついたら、パスポートとお財布を盗まれていた』と言うのです。
その方は、その日の夜、日本に帰国しなくてはいけないらしく、航空券は盗まれていないので、パスポートを早急に発行して欲しいとの要望でした。

そこで領事館員が言った事・・・
『日本の運転免許証を持っていますか?持っていないんですね。。。運転免許証は写真も貼ってあり本籍も書いてあるので、再発行の場合、スピーディーに処理出来るのですが、持ってないとなると、あなたが日本人だという証明はありませんから、パスポートの発行は出来ません』

この言葉を聞いて、「確かに確かに」と私も納得しました。
見た目が日本人で、日本語を日本人と同様に話せても、日本人かどうかは分らない。在日の方もそうでしょうし、現在に至っては、ハーフの方も多く、日本で暮らしていても、国籍は違うって事も多いでしょう。

それでも、その男性は、どうにか今日中にパスポートを発行してもらわないと、帰国できない為、免許証提示以外に方法がないかを領事館員に訪ねました。

『では、日本に取引銀行があれば、その銀行のミラノ支社に行って下さい。ミラノ支社から日本に確認を入れてもらい、銀行を保証人として、あなたが日本に住む日本人である事を証明してもらえれば、パスポートの仮発行を致します』
その男性は、銀行のミラノ支社の場所を聞いて、急いで出ていきました。

が、領事館員・・・意地悪です。
銀行の窓口営業時間は決まっています。
その時点で、(銀行の)午前の営業時間は既に終わっていた為、午後の営業時間を待っていたら、今度は日本領事館はクローズしていまいます。
そういった説明は、一切していませんでした。

その男性が、その後どうなったのかは分りませんが、その日にパスポートが発行されなかった事は確かな筈です。
その男性が日本人かどうかは分らないにしても、領事館は、あまり日本人を守ってはくれないんだなぁ、と実感した出来事でした。
ちなみにその領事館員、全く目を見ずに話すのです。ずーっと視線を外して話す姿は???でした。



私は、一度だけ航空券を無くしてしまった事があります。
パリ〜ミラノ間の航空券で、パリに着いてから帰りのチケットをいくら探しても見つからなく、最悪、自腹で夜行電車で帰るしかないな・・・と思っていたのですが、航空会社に電話をしたら、空港内に落ちていた私の航空券を偶然にも航空会社のスタッフが拾ってくれていた事が分り、自腹をきることもなく無事にミラノに戻る事が出来ました。

今までパスポートをなくした事はありませんが、海外で身元を証明する唯一の物!
現在のパスポートは小型化になり、便利な大きさになりましたが、2種類共に、色は赤い方が良いように思います。
何故なら、私は赤いパスポート(以前は赤のみだった)のお陰で、随分と特をしているのです。。。
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by sole-e-luna | 2007-10-21 02:22 | 事件 | Comments(4)